2014年メディカルルーツの設立時記念シンポジウムでの田中紘一先生の基調講演の内容(一部)

Posted by on 2月 17, 2018 in イベント | 0 comments

このメモは、田中紘一先生が、2014年5月24日に開催された「特定非営利活動法人メディカルルーツ設立記念特別シンポジウム」の基調講演の一部を文字化したものです。音声の聴き取れない部分もありますが、ほぼ忠実に文字化しています。

またこの講演の最後に「したがってこのメディカルルーツの、この患者さんのNPOとわれわれとが手に手を取って、神戸の地で大きく世界の人たちと手を取り合いたいと思います」とNPOに期待する旨の発言をされていました。

 

講演内容:

・・・・京都大学では、当時40人ぐらいで手術していました。ドクター全部で40人ぐらい。チームが10人10人に分かれて。さらに当時、メディアが僕に付いて来てましたので、メディアの広報の人が何人か、あるいはバックアップが何人か。そういう手術をして。ただ今はもう3人ぐらいで手術してますので、いかにいろんな技術が向上したか。

 

それで、きょうこういう話を少し追加して、もう今ので終わっていいんですけど、きょうの私の役割がなくなりますので、少し皆さんに、もう要はスタートした世界で、これからはアジアの人たち、それからさらに大きく、広く、世界の人たちと交流するのが始まってますということ含めて、神戸の地で私たちはこういうことをしたいので、患者さんの皆さんも一緒に参加してくださいっていう、そういうようなお話を少しさせてください。

これは、私、移植に臨む、移植しようと思ったきっかけになった小さな子が2名いるんです。1人は、もう一人おられるんですけど。このモリワキトモヤという。この子は手術をしてうまくいかずに、当時、移植は日本でなかったですから、この子ドイツに行ったんですね。たまたまドイツの医者が京大に来ましたので、患者診ていただいてぜひやってほしいと言って、お父さんお母さん、みんなで行ったんですけど。読んでいただくと、これ『トモヤの飛行機雲』というお母さんが書いた中から抜粋してるんですけど。『あれほど望んでいた移植手術。成功に終わり、あとは回復するのを待つだけと、うれしさのあまり心が震えてしまうほどだったのに』っていうのが、お母さんお父さんの素直な心だった。『ところがこんなにも次々と合併症が起こり。夢にも思わなかった。今、気力だけで生きている。そして『苦しみと戦っている毎日で、疲れたりもしないで何としてもこの大きな山を越えてしまおうね』っていうお父さんお母さんの願い。『一歩一歩確実にもう二度と転落したりすることないように生き抜いてほしい』。ただこの子はいろんな合併症で腸に20カ所か穴が開いて、最終的にドイツでお亡くなりになって日本に帰ってきたんです。そういうきっかけ。

これが私たちに移植をやらねば、日本が全部患者さんを外に送り出していいのかっていうような。その頃は、当時は移植に対してはものすごいアレルギーと、皆さんご存じの和田心臓移植の後の、皆さん社会の不信感がありました。

もうお一方おられます。はい。ちょっと次、もう一つ先。はい。この方です。名前出していいかなあ。きょう、お父さんお母さん来られてます。ササキアヤノちゃん。兵庫こども病院で胆道閉鎖の手術を、確か5回か6回、何とか自分の肝臓で生き抜いてほしいということで、手術して。その結果、京大にはそういう状態で来られて。肝臓ももう駄目なので手足はやせ細って、こういう。この写真はお父さんお母さんの許可をいただいて、私がいつもこの患者さんがきっかけで移植になりましたということを、お母さんお父さんに許可をいただいているんだっていう。

こういうことで移植が始まったら、こういう同じような子どもが、これは移植を受けた子どもが、たまたま廊下で7人の患者さんが。私はいつも「7人の小人」と言ってるんです。これはイギリスのロイ・カーンという、非常に有名な肝移植を世界中で推進したパイオニアの一人ですけど。この写真をいつも大事に持ってます。世界でいつも日本のことを話すときには、必ずこの写真が出てくるんです。こういう元気になったお子さんたちが、このように成長してお嬢さんになって、それで今は子どもさんもここでっていう。皆さん、この中でコガミサキさんという人が来てると思うんですけど。そのミサキさんの妹さんがやっぱり移植受けて、もうお子さんができて。いかにそういう手術が患者さんにとって一つの希望になったかっていうことをまず。はい。

一番最初に戻るんです。ところがトーマス・スターズルっていうこの人が、胆道閉鎖症に肝移植を始めたんです。それが1963年です。63年っていったらちょうど安保の、日本の。岸首相のとこで、もうシモドイさんたちはよくご存じと思いますが、安保騒動があっていた。そのときこの人が、クレイジースターズルって言われてる、もうどんなに非難を受けようと、どういうことがなんかもうあろうと移植。当時はまだ免疫抑制剤がなかったんですね。ステロイドとこのアザチオプリンという、その中でかえたわけです。

じゃあこの頃、私何してたかといったら、もうボート部に熱中し、世界でこんなことが起こっているなんて全然分からずに。卓球に汗をかき、授業には出ないで、大体友達に生理学の、あるいは医科学の、大体第一回の試験は落ちるんです。このクラスに田中が4人いるんです。同じクラスで。当時こういう。たまたま私ここ出てたんですけど、本当にたまたまなんです。ほとんど写真出たことない。こういう仲間に次の試験のときには「田中を助けよう」って言って、いろいろノート見せてくれたり、そういう青春時代を送ってたんですけど。

その頃、彼は。この人が京都に来た。この人はノルウェーの抗原でサイクロストリンを。たまたま製薬会社では全て当時は抗生物質を開発して、一獲千金を狙っていたんですね。ノルウェーでの抗原で取り出していたこの酵母の中に、抗生剤としては効かないけど、免疫抑制剤のすごくパワフルな、こういうものを作り出す酵母菌を発見して、この人がこれを開発していくんです。

ところがこのお薬というのは大変。もう世の中から消えそうになったお薬でもあるんです。先ほどのロイ・カーン。イギリスの。ロイ・カーンが腎臓移植に使ったんです。確かに免疫抑制剤。拒絶はない。ところが副作用がものすごいんです。すごい副作用。最終的に感染症で亡くなった。そのロイ・カーンのペーパーでは、このお薬は使い物にならないっていう。これも一時世の中から消え去りかけた。もし消え去ってたら、移植はここまで進まなかった。そのとき、先ほどのトーマス・スターズルが「ちょっと俺の所にくれ」というのを彼に言ったんですね。この人は当時、免疫抑制剤をこんないいお薬があるということで、世界から、恐らく会社から、スイスのサンド社、今のノバルティスですね。今、ごめんなさい。新聞でにぎわしている、昔はサンド社というとこがあるんですけど。そこでもう特許拒絶になりかかった。それは免疫抑制剤は一獲千金。ものすごいお金がもうかる。

ところが、ロイ・カーンがそれを発表してから、この人は窓際族になってしまった。もう会社からも見向きもされない。この人の偉いのは絶対これが必要だっていうことで、もうわずかに自分でずーっと会社からしかられながら、そのお薬を維持していた。そして先ほどのトーマス・スターズルが彼に「これ使わせてくれ」と言ってアメリカに渡ったんです。そしたらトーマス・スターズルどうしたかっていうと、そのお薬をずーっと減らしてステロイドと一緒にコンビネーションで使ったんですね。そしたら副作用は少ない、免疫抑制剤としての価値があるということで、この人はまた社長近くになった。リタイアしたときに日本に来たんですけど、私もこのとおり若い。こういうふうに免疫抑制剤、今でもいろんな副作用があると思うんですね。皆さん、飲まれてる方もいる。こういうのが本当は副作用がないようなお薬がこれからも開発されていくと思いますし、副作用も患者さんによって全然違うわけですね。本当にもうなくてもいい患者さんも出てきたり、あるいはしっかりとたくさん飲まなきゃいけない人もいますし。

そういう中でこれは『ライフ』という当時1970年。移植医療の試練の時代と。これは心臓を受けた6人の方をこの『ライフ』という、ずーっとフォローしてるんですね。移植医療、この心臓外科医は移植はやめろっていうのが最後のページにあるんです。それなぜかというと副作用が強過ぎる。生活の質が保証されないっていうことで、この人たち全員死にます。だから心臓外科医がどうか移植医療を、この医療はストップしたい。こういう。はい。

私たちの体というのは、いろんな患者さんもご存じのようにこういう心の問題、精神的な問題。あるいは神経系。歯が痛くても人生やっぱり暗いですよね。ずっと歯が痛いとなると糖尿病になりやすいとか、腎臓病になりやすいとかいうので、口腔衛生と腎臓というのは非常に関係してますとか、あるいは免疫系と関係あります。サウナに行って生き生きとして帰ってくる人もいるけど、サウナに行ったらがっくりして帰ってくる人もいる。そういう免疫系も違うわけですね。あるいはホルモン系も。しかし私たちにとってやっぱり肝臓というのはこういう生体系の中では非常に重要な。私はこれ、ある友達の所に行ったらこれがたまたま。そいつは大分合同新聞の社長をしてるんですけど、いろんなゲテモノを集めてるんです。これを見てまさにひらめいたのは、ここに肝臓があります。これがうまくパクパクしてるから、腎臓も回ってるし、心臓も回ってるし、それから肺も回ってるし。そうするとこれが止まってしまったらそれぞれ駄目だなあという、こういうようなイメージで。今これを新しいKIFMECの真ん中に置いてもらっています。

おしまいは、この人で非常に活発で、ヘリコプターで福山から来られた患者さんです。彼はハンデキャップを持った方のドナーとレシピエントとが。これもう、私、手術はお断りしたんです。血液型不適合とやっぱりハンデキャップを持ってる。ところがこのドナーが、この方が死ぬと私も自殺したいと。まさにそれを言って、私を大変困らせた2人ですけど。今テニスを楽しんだり、バスケットやったりしてます。

ただ良くなった人ばっかりじゃないんですね。これがやっぱりドナーさんが、レシピエント見守る家族の思いというのは、きょうも一つ悲しいことがあった。うれしいこともあった。笑ったり、泣いたり、望んだり、愛したり。こういう中でたくさんの平凡なことが。これが人生の中で非常に重要だということを私たちに教えた家族。平凡なことも私たちにとっては幸せなんです。この子は残念ながら亡くなりました。またこの患者さんは、ドナーは76歳の五島列島のおじいちゃんだったかな。お父さん。もう来る日も来る日も手紙を送って。私の命はどうなってもいいんですと。息子を助けたい。言われた私たちは。それは生体肝移植の根本的な問題でドナーの安全が1番なんです。ドナーがあっての家族で。ということで私たちはこの患者さんは拒否をした。そういう。はい。

最近、カイロに行きました。10歳のこの子。この子の手術のために行ったんです。診てみると腹膜炎起こしてるんです。腹水があって腹膜炎起こしてる。そして凝集系が悪くなってもう手術できない。その日に、そのときに手術したら駄目だって。それを乗り越えてでもやってあげたいんですけど、私は手術した後もう帰らなきゃいけないですね。エジプトに住むわけいかない。

それでじゃあ、この子自体も、ありがとう来てくれて。そして私を助けてくれて。移植について話してくれて。あなたに会って嬉しい。そして私はあなたに約束します。今の状態が改善するまで頑張ります。食べます。動きます。そういう約束して、早く来てくださいねという手紙をいただいて帰った。それで4、5日してこの子は残念ながら、呼吸器につながれて最終的に命を落としたんです。移植に間に合わなくて。この子に日本のきれいなところ見せたんです。富士山を見せ、ちょうど春の桜のころも。日本に行きたい。私、良くなったら絶対日本に行く。だからこのEメールでその日本のきれいな所を送ってくださいっていう、こういう言葉を残して亡くなったんです。はい。そのとき見せた写真がこれですね。これはミズタさんがつい最近私たちのとこに持ってきてくれたイチゴです。これも食べさしてあげたかったんですよ。ミズタさんはわれわれをいつも哀れんで、こう言うとおいしいイチゴを持って。請求してるわけじゃないです。だからこういう景色を見せてあげたい。日本って本当きれいなんですね。カイロを見て、インドネシア、もういろんな国に行きますけど。やっぱり四季折々、日本の美しさというのは皆さん気が付いてないと思いますけど、大変美しい。そして文化が。だからそういう文化、景色、そういうものを、どうか移植を受けた方、あるいはドナーになった方は楽しめるよう。われわれも楽しんでます。はい。

この子は中国で初めて手術した、生体肝移植。ちょうど香港が中国にかえってくる前の日に手術だったんですね。ということは中国で初めての生体肝移植。四川省という所で。きょう四川省から1人来られてる人がいますけど。これ今現在です。中国も確実に始まりました。これはサウジアラビアで手術した。この人がどんな顔してるとか全く忘れてしまいました。これだけの顔してるのに全く分かんない。この人がドナーだったかもしれない。こういう人です。エジプトはこういうピラミッドの中で友達と一緒にやってる。

世界の9か国ぐらいに生体肝移植を導入して。メキシコとかコスタリカに。コスタリカの国っていうのはものすごく美しいんですね。50年間軍隊がない。中東で軍隊がないなんて考えられない。鳥が非常に有名な、そういうとこでやって。スペイン語です。看護師さんもスペイン語。英語全く分かんない。私もスペイン語は分かんない。そういう中での手術です。

エジプトもそれぞれの国。これナイル河の上流ですね。もう少し行くとスーダンですけど。こういう所で子どもたちが遊んでるんですけど、ここ寄生虫がいるんです。寄生虫がいると皮膚とか入ってきて結局こうなっちゃうんですね。肝臓が悪くなって。膀胱がんにもなるんです。これの予防注射ができたんですね。ドイツの人が発見して予防注射できたんですけど。当時われわれも医者になったときは煮沸消毒という、注射器の煮沸消毒。それから針の煮沸消毒。それをずっと使い回ししてるんですね。使い回ししてて、C型肝炎がもう15パーセント、20パーセント。5人ぐらいいて1人引っ張ってくると、その人はC型肝炎ですね。肝がん、肝硬変。はい。

イタリアではボスニア・ヘルツェゴビナの民族戦争があったときに、その民族戦争の子どもが肝がんになって処置ができない。移植がしたい。してほしいということで、イタリアで初めての生体肝移植をして、そのためにローマ法王から感謝を受けて。これはパドヴァという世界でも2番目か3番目に古い大学で学士賞をもらった、こういう姿で。隣にはガリレオ・ガリレイが演説した机があります。こういう、はい。

ここもわれわれが、ちょっと注目していただきたいのは、やっぱり我が国の医療関係ってみんな閉鎖性なんですね。これはもう最初から言いました。だいぶ、変わろうとしてますけど。はい。外国人ナース、介護士働きに来ています。はい。すぐれた外国人院生も働けない。はい。新薬、医療機器の導入に時間がかかる。受け入れ体制も駄目。はい。ICTも、ICTを今一生懸命追いつこうとしてますが。はい。これが大事な本。日本の。こういう状況の中でもこのチャールズ・レイクという、2009年に、非常に大きな本ですけど、『黒船はもう来ない』っていう本が出ます。これをずっと読むと日本ってすごいじゃないか。すごくもういい国なのに、なぜ国を開かないのかっていう。でもあなたたちは黒船が来なくても自ら開きなさいっていう、そういう本ですけど。この中にもわれわれが抱える問題も非常な思いを持っている。はい。

じゃあ日本語で苦しんだ闘莉王。これはもう皆さん知ってますよね。ブラジルから仙台ですかね。東北のほうに高校時代にサッカーで来たんですけど。この人は来て1年ぐらいたったら荷物まとめてブラジルに帰ろうとしました。それはもう日本語が分かんなかった。日本語が分かんないと仲間と一緒にサッカーができないということで。ところが日本語をマスターしてからは日本の代表的なサッカー選手になりましたね。今も現役ですけど。今、あんまり最近は出てくることないですけど。だから、やはり日本語という壁は医療従事者にとっては大変重要なので、私たちはKIFMECの中に日本語とかインドネシア語とかそういう言葉を話せる、中国語を話せる人たちもたくさん働くようになりますので、大変ここの神戸のかいわいがそういう仲間が増えるんじゃないかなと思ってます。はい。

これはベトナムに行ってベトナムの若い人たちと交流してるとこです。こういう人たちが「日本に行きたい」って言ってますので、KIFMECができたら、こういう人たちが来たらベトナム料理を作っていただいて、キクタさんのやせる方法を考えていただこうと。はい、次。これが最近インドネシアに行って、これはインドネシア大学のトップですけど。この人はその病院のトップ。この人たちはリーダーですけど、すごく神戸と連携したいということでMOUを結んで。われわれに、人口2億4000万ですね。2億4000万ですけど移植は今全部で6例しか実施例がないですね。肝臓の病気の人はC型肝炎、B型肝炎含めて3000万人。そういう国です。

私の理想はこうですね。どの人がドナーでレシピエントか、もう忘れましたけども。残念ながらこのレシピエントの愛する奥さまを亡くしたサトウさんも元気に参加して。そして金毘羅参りをいたしました。ヒロタさんはここで。先ほどのイチゴの方はここ。私は当時肉離れをしてて、ちょっと尿酸値も高くて足も悪かったんですけど。ドナー、レシピエントが手に手を取って780、なやむですから、786の階段を半分だけ上がりました。はい。半分だけ。ただ下りてからはこういう格好で、うどん学校に行って、みんなでうどんを作って。切ったうどんがまるで名古屋のきしめんみたいになった。本当にうどんとは言い難い。足踏みしてってこねて。1番楽ですよね。この人。はい。私は半分だけこういう格好で。ただ怖かったのは、この人見てください。私よりずっと細い。だからこの人に聞いた。「落ちたことありますか。」「落ちたことありません。」ずっと話してみるとお酒のにおいがする。落ちたことありません。「人が落ちたらどうするんですか」って言ったら、絶対落ちませんって。そういう形で楽しんできました。今年もぜひ皆さんと一緒にどっかに出掛けたい。はい。

最後に、われわれはこういう病院を作ります。患者の立場に立って、チームワークに徹し、学びつつ成長する病院。それから医療イノベーションを作る消化器医療の国際病院。したがってこのメディカルルーツの、この患者さんのNPOとわれわれとが手に手を取って、神戸の地で大きく世界の人たちと手を取り合いたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。たくさんしゃべり過ぎて、時間超過しました。はい。

 

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