生体肝移植の患者家族のお話(幻となったNHKのクローズアップ現代の取材を受けて)

Posted by on 11月 28, 2017 in 体験談 | 0 comments

NHKのクローズアップ現代の取材の時のメモより

KIFMEC病院が存亡の危機平成にあった平成27年に、NHKの取材を受けた。何とかKIFMEC病院が存続できるように世論に直接訴えることを考えて取材を受けた。結果的には、この取材の内容は報道されず、生体肝移植はそもそも認められないというコメンテータの採用で、NHKのクローズアップ現代で報道され、息の根が止められた。結果KIFMEC病院は閉院に追い込まれた。本来中立の報道であるべきNHKが公平な報道をしなかったことに、患者家族は大きな失望を受けた。KIFMEC病院は閉院になり、肝臓移植でしか治らない患者家族の選択肢はすごく狭くなってしまった。

以下は、取材当時集まった患者家族の方の、生体肝移植に至る道のりの概要を示します。患者家族の方の移植に至る様々な状況が、少しでもわかっていただければ幸いです。

 

Aさんの場合

私がドナーで主人がレシピエント。主人は肝硬変の末期、最後をどちらで迎えられますかと聞かれていた。お腹もパンパンで終わりかなと思っていた時、京都大学での生体肝移植を知った。これをやりたいと主人に言ったらあほかと言われた。担当医と生体肝移植が出来ないかと相談したところ現状の体では無理だといわれた。その体では京都大学は無理だと言われた。そのころ神戸中央市民病院に田中紘一先生がおられて、肝移植をされていたので相談し、手術をしてもらった。もう手術をして8年になるが健康を保って、会社にも勤めている。

Bさんの場合

私がレシピエント、主人がドナー。神戸中央市民病院ができたときから、市民病院にお世話になっていた。小さいときに病気が見つかって、先天性の珍しいウイルソン病であることが解った。直す手立てがなくてその経過で子供の時から市民病院で検査を受けていた。大人になってからも経過を見てもらっていた結果、肝臓の中で糖の代謝が少ない体質だと2年ぐらいたって解った。その時には重篤な肝硬変になっていた。市民病院で田中先生が生体肝移植をしているのを知ってお世話になった。血液型は私がB型で主人がA型で不適合でリスクが高かったが、平成18年に移植手術に踏み切った。二か月後、経過が悪かったので二度目の手術を行った。二度目の手術後はしんどく長く入院していた。三度目の手術後胆汁の排泄が悪く管を付けていたが、奇跡的に管を抜いた状態で退院できた。術後は体調の変化もなく手術後丸9年、現在は健康状態である。

Cさんの場合

私がレシピエント、主人がドナーであった。病名は群発性硬化性胆管炎、脂肪肝で肝硬変になったと言われた。病院では治療はできなかった。また担当の先生が病院を代わってしまったので別の病院に行った。胃の検査を受けた後18年に2回吐血、平成19年1回、22年に2回吐血した。最初の吐血の時に中央市民病院に救急で入院した。救急担当の先生からもう一回静脈瘤破裂すれば治療しようがないと言われ、移植しか治療はできないと言われた。主人がドナーになるからと言ってくれて、23年、中央市民病院で手術していただいた。5年と5か月、健康体を維持している。

Dさんの場合

私がドナーで主人がレシピエント。平成19年に手術してもらった。主人は感染脳症にかかっていた。病院では、入院したらそのまま亡くなっていく運命にあった。病院では肝移植の情報はなかった。暗い思いだったが他から情報が入り、田中先生に相談できる機会があり光が見えた。肝機能を示す数値は最悪で、どうなるかわからないけれど藁にもすがる思いで手術してもらった。リスクの高い手術であったが患者を助ける強い想いで先生達が手術を行ってくれたことを感謝している。手術後しんどい時期はあったが、現在では健常者と変わらない状態で仕事を行っている。

Eさんの場合

私はレシピエント、主人がドナー。若い時から自己免疫性肝炎であった。自分の免疫が自分を痛める。肝臓が傷められて肝硬変になった。その時は何年かしたら死ぬと覚悟していた。肝移植があることを知らなかった。移植という手段があることを担当医師から教えてもらった。中央市民病院で田中先生と出会った。状況がさらに悪化したので平成22年に手術を行ってもらった。現在は元気に過ごしている。免疫製剤を受けているので感染症には注意している。風邪を引けば1月間ほど長引くので電車の中ではマスクをして注意している。感染経路が心配で、実家では猫を飼っていたので住めないなと新しく家を作った。現在日常生活は、薬は飲んでいるが普通に過ごすことができている。風邪などの感染経路を断つために家中アルコールで拭いている。

Fさんの場合

私がドナーで、弟がレシピエント。弟は体格も良く、よくインドネシアに出張で出かけていた。インドネシアから戻ってきたときに微熱が出て調子が悪かったので病院に検査に行った。結果肝臓がんが見つかった。腹水がたまってポンポンとなっていた。無理をしていた。家系にB型肝炎の人が多数いた。病名は肝硬変肝臓がんB型肝炎。親戚にも肝臓がんで死んだ人がいる。地元の病院で調べてもらっていたが、内科と外科の間をたらい回しに合った。いとこが医者で、関連するお医者さんを探してくれた。神戸に田中先生がいるので相談したらと教えてくれた。いとこから紹介された中央市民病院に聞きに行った。病状に対する親切な説明を受けた。選択肢はこれとこれとの説明を受け、医者を信頼することができた。他の医者に聞くと、肝臓の大きさがドナーと異なるので関東の病院では手術が難しい言われた。この手術をできるのは田中先生だけだと言われた。手術は平成19年。手術の後は禁止された土いじりも行っていたが問題はなかった。現在は元気に仕事に飛び回っている。

入院しているときに、元気になったらどういうお礼をしたらいいのかと看護師さんに聞いた。医者は患者が治ることを願って治療を行っている。治った時に医者や看護師にお礼しても一時、同じような境遇にいる人の支援を行う事が、田中先生の意思を継ぐことになると言われた。それがNPO(NPO法人メディカルルーツ)の設立につながっている。

Gさんの場合

私の長女は、先天性の胆嚢閉鎖症。平成19年、中央市民病院で生体肝移植をしてもらった。現在9歳。妻がドナーで娘がレシピエント。新生児病院で治療を受けていたが黄疸が治らなかった。原因が分からなかった。4か月目にさらにひどくなったのでもう一度受診したときに、これはおかしいと言われ再度検査を行った結果病名が確定された。その後子供病院に病院に入院した。難病であり生体肝移植しか助かる手段はないと言われた。その後経過を経て中央市民病院の田中先生にたどり着いた。治療しなければ必ず死んでしまうと言われていた。治療していなければこの世に存在しない。現在は小学校に通えるまでになっている。

Hさんの場合

私がドナーで、妻がレシピエント。6年前に亡くなった。移植後C型肝炎が再発して死に至った。もともと白血病を患っていて、C型肝炎になったと言われていたが、感染ルートは不明だった。中央市民病院に入院、肝炎、肝硬変、肝臓がんの経過をたどり、治療法は生体肝移植だけと言われた。結果的に田中先生に巡り合った。38歳で肝移植、42歳で亡くなった。

Iさんの場合

京都大学病院で治療を受けた。私がレシピエント、娘がドナー。平成16年に生体肝移植を受けた。20年間慢性肝臓病であったが、主治医からも生体肝移植の話はなっかた。身内から生体肝移植と言う方法があると教えてくれた。手術の前には肝性脳症で、私は意識がなかった。妻は反対したが娘が助けたいと言って生体肝移植が実現できた。2週間後に目が明いた時にぎりぎりの決断をしてくれたとの状況が解った。自分の意識があれば反対していた。生体肝移植も免疫抑制剤が進歩して助かるようになってきた。家族はぎりぎりの選択をしてくれたと思う。現在は元気に過ごしている。患者家族の状態を皆さんに知ってもらいたいとNPO法人の立ち上げに参加した。世の中の多くの人に患者家族の現状を知ってほしい。

以上

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